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元気ですか?!

 

どうも、ナタデココです!

 

プロフィールや自己紹介ってありきたりな感じになりがちですよね。詰まるところ、私という人間を知ってもらうには今までどういう経験をしてきたか?そしてどんな考え方、価値観を持っているのか?を伝えるのがポイントなのかな?と思いました!

 

なので!

 

東京生まれ、東京育ちの私がどのような環境で育った来たか?!

 

この記事では、これまでの生い立ちを振り返ると共に皆様に私という人間を紹介していきたいと思います!!

 

 【 目 次 】

1.充実して楽しかった義務教育

  幼稚園の時はあまり覚えていることが少ないんです。そんな中でもパッと思い出せるのが、友達と幼稚園の屋上で毎日のようにサッカーをしていたことです。

 ホントに飽きずに毎日にようにサッカーをやっていたようなので、当時のとても明るく元気で優しかった先生が私たちのために子ども用のサッカーゴールを買ってくれたことがとても嬉しく今でもハッキリと覚えています。

 そんな優しかった先生にも叱られたこともあり、何をしでかしたというと「幼稚園からの脱園」ですw

 小学校と幼稚園が同じ敷地内にあり、当時は探検ごっこをしていた私たちは自由時間中に幼稚園の門をよじ登って突破して小学校まで行ってしまったんですねwww

 すぐに御用となり、先生と母親に怒られたのを覚えています。改めて書いてると元気があってかわいいやつだったんでしょうかね?

 

 

 遊びまくっていた小学校は毎日が楽しくて仕方なかったですね!小学校にいく楽しみは友達と会って遊べる・給食が美味すぎという2つの動機だけしかなかったですw

 かなり元気いっぱいでヤンチャだった私は本当にやりたい放題な子どもでした。自分が気になることは思うがまま実行していましたね!

 牛乳はヨーグルトになるのか?ということで、給食で出る牛乳を先生の机の中で保管?放置したり

 小学校に隣接している民家にある柿を勝手に捕って食べたり(しぶ柿でイタイ目にあいましたがw)

 小学校にお菓子を持ってきて配っていた女の子達がいて、後日それを貰った人の確認を先生がした際に当時休んでいた奴の名前を挙げて巻き添えにしたり、女の子がやっていた「交換日記」を勝手に見たりもしましたねw

  そんな感じで好き放題やっていた私でも小学校のときは運動神経も良いほうで、足も速く身長も高かったのでモテたんですよ?(余談です、はいw)まぁ、当時は女の子に全く興味がなかったため今ではかなり勿体ないなと思ってます!

 ゲームも得意でしたね!任天堂64の「スマッシュブラザーズというゲームはほぼ毎日のように友人を自宅に招いてプレイしていましたw

 「かくれんぼ」と「鬼ごっこ」を合体させた独自の遊び「隠れ鬼」という遊びがローカルで流行ってましたねw

(スタートはかくれんぼなのですが、鬼に見つかっても逃げてもオッケーというかなりハードル高い遊びです)

 サッカーも継続して好きだったので、ピーク時は3つのクラブに所属していて週5、6くらいでサッカーをやっていました!それくらいやってると自然と上達してくるもんで区の代表にも選ばれちゃったりしてましたよw

 

 

 遊んでサッカーしてばかりの私でも義務教育なので、中学校へ自然と進学しました。中学の三年間はとても濃く価値のある時間を過ごすことになったのです。

  中学校ではサッカー部に所属してある一人の先生との出会いが私の生き方、物事に対する考え方・取り組み方などの基盤となるベースを構築するバイブルとなりました。

 子どもながらも「先輩・後輩」という関係での環境でサッカーをする中で、私たちは「サッカーを通じて人として、男として成長する」ことを毎日のように指導を受けました。サッカーの上手い、下手ではなく挨拶から始まり

・親、先生への感謝の気持ちを忘れないこと

・グラウンドや用具の手入れを怠らないこと

今思うと、本当に社会人になっても大事なことを伝え続けてくれていたのだと強く思います。

 プレイの中でも選手として紳士的ではない行為は容赦なく怒られ、学校生活でも中学生らしからぬことをすれば同じように叱られました。時には殴られたりもしましたが、決して暴力ではありません。中学生ながらに自分は悪いことをしたのだと納得でき、愛のムチなのだと理解していました。

 サッカー部では部長、委員会では委員長、そして卒業式では学年代表で答辞までやらせてもらい、この中学校生活で体験したことや得たことが私という人間のベースとなっているのかもしれません。

 

 

2.自ら選択して進む人生のスタート

 義務教育を終えて親が敷いてくれていたレールから外れ、いくつもある道の中から自分が選択して進んでいくステージが始まりました。振り返ると後悔するようなこともありましたが、今の自分があるのはきっと過去に歩んだ経験があるからなのだと考えられるようになりました。

 高校は地元から離れているところへ進学しました。もちろん、サッカーをやるためです。いや、正確にはサッカーに真剣に取り込んでいる、力を入れてやっている部の環境でサッカーをやりたかったからなんです。本当に何も考えてなかったというか、考えが浅はかでした。

 中学生の時に特定の地域の中で少しサッカーが得意なほうだっただけで天狗になり、全国レベルの高校のサッカー部へ所属する道を選択したんですからね。。。良くも悪くも3年間の部活動から学んだことは「上には上がいる」「プレイヤーとして試合に出ることの大切さ」「腐らずに継続する難しさ」です。

 高校生活で今でも良かったなと思うことは、社会人になっても定期的に会っている友人ができたことです。これだけは本当に高校に進んで得たかけがえのない財産なのかなと強く感じます。

 部活を引退後は部活漬けだった生活から一転、普通の高校生ライフを満喫しました。アルバイトして、友達とファミレスいって将来のこと語ったり、カラオケいったり、車の免許も取りに自動車教習所へ通いましたね!MTで何故か受講して一時期はペーパードライバーとなってしまいましたがw

 

 

 周りが大学へ進学する中、私は専門学校への進学を選択しました。幼児教育学科で、卒業すると同時に資格が取得できる学校です。

 ホントにここの選択は後悔してます。。。マジで大学に進学しておけば良かったなと思ってます。。。

 専門学校を卒業して児童養護施設へ就職するも一か月で退職(正確には余りにも労働環境が過酷すぎて夜逃げしたんですけどねw)その後もせっかく取得した資格を活かすような職には就かずに全くの時間の無駄、お金の無駄って感じになりました。。。まぁ、そういう結果にしたのも自分自身なんですけどね。。。

 当時は資格や経験を活かすって「それに依存してるな」みたいな捉え方をしていたんですよね。当時は若かったので再就職先にも困らなかったですし。しかし、年を重ねるたびに「経験や資格を活かす」って重要なんだなと感じてますし、それ以前に「何を経験するか」って将来を見据えて慎重に選択しないといけないのだなと思います。

 

 

3.自分の人生、生き方について考え始めた

 ブックオフ店員、児童養護施設スタッフ、商品管理、印刷会社、マンガ喫茶店員、プログラマーなど様々な仕事を経験してきました。気づけば年齢も28歳となっており、仕事や生き方への考え方も少しずつ変化が表れています

 3~4年前は仕事も「正社員の職」というものを目指していました。月給制だし、ボーナスでるし「自立した大人」のようなイメージもありました。そんな偏った世間一般的な印象にこだわっていたんですね。。。

 

「正社員なら自立した大人なの?」

 

自立とは?

大人とは?

人生とは?

 

本当に大事なことってそんな肩書なんでしょうか?

 

もちろん肩書も大切でしょう。

 

でも、重要ではないと思うんですよね。

 

人の本質ってそんな薄っぺらいもんじゃないですよね? 

人の価値って肩書で決まってしまうんですか?

 

自己弁護をしているわけではありません。

 

でも、これだけは信じてほしいです!!

 

私は人として、男として強く誠実でありたいと思っています。

 

だから自分が正しいと思ったことは必ずやりきります

 

文章能力もボキャブラリーもないので、支離滅裂な感じになってしまいました。上手く表現できないんですが、自分の中にあった偏った考え方を改めることができ、自分に合った生き方や考え方が少し見え始めてきたんです。

 

やっと。。。

 

この感性を大切に自分自身の人生を幸せなものとできるように頑張りたいです!!

 

4.まとめ

・中学での3年間はとても価値のある時間を過ごせた

・選択の人生が始まってからは後悔の連続

・やっと見え始めてきた自分なりの生き方を大切にしたい

 

いかがだったでしょうか?!

 

少しは私という人間がわかっていただけたでしょうか?

 

この記事の質もどんどん向上させていきたいので、徐々にアップデートしていきます!

 

 

最後まで見ていただき、ありがとうございました!

 

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